前に書いたか忘れたが、一度、サラリーマンやめ独立開業したことがある。
もちろん上手くいかず、資金ショートからパニック症になった。
血迷って、独立前に辞めた会社に、再雇用をお願いするも一蹴。
たまたまであるが、今で分かったことで、その派遣先は酷く、派遣を奴隷のように扱う悪い会社であった。地獄をみたし、それこそどん底であった。
「どん底?」
笑われるかもしれない。こんなのどん底でも何でもないと、真のどん底を味わった人はいうだろう。
縁あって、知人である市の職員より、ある会社の応募をすすめられる。
市の推薦もあり、なんなり入社。サラリーマンに逆戻りだ。
その仕事が、いわゆるルート営業で、営業と名の付く御用聞きだ。
営業ノルマはあってないようなもの。ノルマ達成しなくても、長からは、
「仕方ないねー、来月頑張ろうねー」のみ。
給与も悪くなかった。
が、こんなぬるま湯にいては本当にダメ人間になると思い、市職員を裏切る形となったが、
円満退社。兄が立ち上げる新会社の管理職として働いた。管理職といっても、私一人の、いわゆるワンオペレーションだ。支持を出してくれる者もいなければ、叱る人もいない。
ひとつだけ、社長である兄に何が足りないか?今すぐ必要なものはなにか?と尋ねた。
答えは一つ、簡潔に「顧客」という答えが返ってきた。
私は、上記ルート営業はやったことがあるにせ、顧客、案件刈り取りの営業はやったことがない、というより嫌で避けて生きてきた。
営業はやったことない、顧客を無から作るなんて無理だ、なんと言う弱音は吐いていられない。やるのみだ。あの手この手で、大の苦手だった異業種交流会も月に8~9回は出て、ボケっとするのではなく、ターゲットになりそうな方に目をつけ、名刺交換ではなく、無理やりLINE交感をした。どん底まえの私には考えられないことである。とにかく顧客を作るんだ!という使命にかられ、お陰様で300の見込み客ができ、うち半分は本顧客となった。振り返ると、自分でも信じられない営業パワーだ。やってみないとわからない、いや、本気にならないとわからない、自身の潜在能力、私は大きな自身を手に入れたのと同時に、「自分の仕事」として、その仕事が楽しくてたまらなかった。
その仕事は収支が合わず、なくなく解散となってしまい、また派遣仕事へ舞い戻る。(50手前で運転免許しか持っていないものに正社員の席はなかった)
しかし、今回は違う。前職で刈り取った客は、原則、兄の会社のものであるが、自然と私についてくる。150の顧客。そこに色々な仕事を掛け合わせた。新規暗号通貨運営の提案、どろくさくもネットワークビジネスの提案、他、色々、点と点を結びシナジーによるビジネス展開。派遣の収入が主であったが、気が付けば、私は複数の収入減を構築していた。よくいう7ポケット(7つ収入減)。これから、終身雇用や物価変動や戦争等、何が起こるかわからない世界で、1つの収入に頼っていてはだめだ。投資も始めた。国が推奨する新型NISAもそうだ。あらゆるものを掛け合わせ、そしてあらたに辿り着いたのはブログ記事だ。これも収入の1つに過ぎない。セドリだったり、ネットビジネスだったり、何でもやる覚悟は出来ている。世の中綺麗なことばかりではない。どちらかというと、その逆だ。不味そうなものでも食って上手いならよし、不味ければ吐き出せばよい。よくないのは、先入観だけで、「食わない」ことだ。なにがヒットするかわからない。自分のポテンシャルだって、やらないとわからないのだ。そう、所謂、トライアンドエラーを高速で繰り返し、良いとこどりを行う。 これらは大手企業社員、公務員等、平坦で波がない環境では手にすることはできない。いや、手にしようとしても、怖気づいて結局安定を選んでしまう。
そんな、人生、面白い?? お役所で踏ん反り返っている中堅のお役人さんに訊いてみたい。私は決して安定していない、それを見かねて嫁も離婚し、去っていった。でも後悔など、微塵もない。ポジティブな考え方にもなった。40過ぎて派遣社員になるなんて、大手企業で努める人やお役人さんでは、もう一生経験できない。それを経験できたのはラッキーだ。刑務所に入ったって構わない(法をおかすきはないが)。人生の糧になる、人に語れることが多いほど、人生は豊かなものになる。何もお金がすべてではない。(あるにこしたことないが)
殴り書きで想いを書いたが、本当に、チャレンジしたこと、失敗したこと、そこで得られた様々なこと、将来の楽観科化、すべてにおいて、平坦ではない。
人生落差があるから楽しいのだ。さあ、もういっちょ失敗して学んでくるかぁ!!
つづく
コメント