以前、ある曲のオーダーを受けた。
テーマは、東日本大震災で残された家族の気持ちをのせ、それが具体的に大震災のことを歌っているのではなく、抽象的に、そのことを彷彿させるようなことだった。
結局、その曲はボツというわけではないが、保留の渋滞で、今も保持している。震災で残された家族のことをテレビやネットで見て、自分事として捉え、自分なら、このような感じで捉える、というところから始まった。
甚だ、被害に遭われた方に失礼かもしれないが、私は憑依し、すらすらとペンが走った。
「星の雫」というタイトルだ。
未だ、ペンディング状態なので、ここで曲の詳細はアップしないが、少しだけ触れようと思う。
星というのは被害に遭われ亡くなった人を表し、その星を見て、星に語り掛ける人を残されたご家族という前提で曲を進めさせてもらった。
とにかく、オーダー内容が「抽象的」、乱暴にいえば、どんな災害や、災害に等しい悲しいことに遭われた方の心をつかむ、ということだったので、冷静な気持ちで、呼吸を整え作詞に挑んだ。
その歌詞の一節で、自然に出てきた言葉があった。それは恐らく、というか、実際に私が抱いている疑問でもあった。
「僕は正しく生きているのか?」
というフレーズである。
これは、皆さんも時には無意識でも思うことではないだろうか?
私は各仕事にも満足しているし、間違った生き方はしていないと思っているのであるが、意に反して、特に最近感じる。「僕は正しく生きているのか?」
そもそも「正しく」という定義もないと思うし、「正しく生きているのか?」に答えはないと思う。ただ、無性に自分に問いかけたくなる時がしばしばある。
そう、心が弱っているときや、人生に虚無感をおぼえた時、他人を傷付けているのではないかと疑心暗鬼か、本当にそうなのか不安に思う時に、このフレーズが頭をよぎり、口に出してしまう。
「僕は正しく生きているのか?」
「あなたは正しく生きていますか?」
すべてについて答えはYesで良いと思う。
今を生き、死なずに呼吸を続けている。
それだけで正しいのではないだろうか。
我ながらというと自信過剰になるが、このパワーフレーズはいつも私に襲いかかる。
なるべくYesとこたえるようにしている。
何か間違っていたとしても、とにかく生きよう。
生きることで、償うこともできるかもしれない。
生きることで、誰かの為になっているかもしれない。
そう。
「僕は正しく生きているんだ」
と唱え、眠るようにしてるのだ。
つづく
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