〜なぜNHKと縁もゆかりもない私が『みんなのうた』に曲を提供できたのか?〜
こんにちは、芸能音楽家のひろぽんです。
この度は、超重要な体験情報です!
極秘の技を伝授できたらと思います。
それは、全くNHKと関係がない私が「みんなのうた」に曲を提供することが出来たのか?
そう、入り口のないNHKに潜り込み、歌を売り込み、採用された事実を話します。
特に終盤は、私しか知らない家宝並みの情報を掲載しているため、
ぜひ、ご購読、行動に移して頂き、成功して頂ければ筆者も、実に幸いです!
※削除される可能性ありますので、お早めに!また、需要にい応じて値段を上げさせて頂く場合もあります
36歳の時、仕事に追われ、使命である音楽活動(作曲やバンド)が出来なかった時である。
そもそも、妻子あり、住宅ローンも組んだ私が、お金にならない、ただ使命感で音楽を続けることは、いささか難しかった。
そんな時、少し仕事に余裕ができ、得意であった企画書を作ったのである。
そう、その企画書のタイトルは、、、
「音楽で10億円稼ぐ!!」
だ。
大きな杭を立て、そこから、その杭に向かうための枝道を作るのが得意であった。
かつてメジャーデビューしたバンドを、再活動し、再メジャーデビュー出来たとしても、アンダーグランドの音楽では売れないし、時期的にはCDバブルはとっくに終わり、配信へと移行しつつあった。 よって、この案はボツ。
あれこれ考え、かつて、バカ売れしたものは何か?を考えた。
そうだ、およげたい焼きくんや、だんご3兄弟のような、社会現象となる楽曲であれば、
企画タイトルに近づくのではないか?
これで大きな道筋は決まり。
さて、その道筋の、次のステップに向かう道筋を模索。
そうだな、NHKのみんなのうたは国民的人気番組だし、当時なかった言葉、「バズる」こともあるのではないか、そう考えた。(後々の話であるが、だんご3兄弟は「おかあさんといっしょ」、およげたい焼きくんは、確か別の民放番組であるのに気付かされた)
では、そのNHKみんなのうたへ入り込む術を模索。NHK、受信料を払うくらいの関係性。番組制作現場に入り込む、ツテなど、全く持っていない。
試しにみんなのうたのホームページの「よくある質問」を見ても、一番最初に、「Q:みんなのうたへ曲を提供することは可能でしょうか?」 「A:いいえ、みんなのうたの楽曲は、プロの作家様に頼んでいるので、持ち込みは受けつていません」 とあっさりバッサリ、道が途絶えた。
試しに、同ホームページの、確かメールか、問い合わせフォームか忘れたのだが、「昔から、みんなのうたの大ファン、私が作った曲を聴いていただけないか?」と連絡するも、これもあっさりバッサリ断られた。 付き合いのあるレコード会社の担当に相談するも、NHKへの道筋を得ることは出来なかった。
そうこうしているうちに、サラリーマンの仕事を転職し、また、仕事に追われる日々が始まり、この企画は忘れてしまった。毎日毎日、サラリーに追われ、自身を見失いかけた頃、仕事の過渡期から晴れ間がのぞいた。そう、時間が少し持てたのである。
そういや、10億稼ぐ、あの企画、ほっぽらかしだったなあ。。
しかし、人間とは不思議なもので、忙殺の最中でも、一度立てた計画については、常に弱くともアンテナを張っていたのである。
さあて、どうすっかな? NHKへの入口なんてないし、曲ばっかり作っても、向こうから声がかかることなんて1000パーセントないだろうし。
そのようにため息をつきながら、ぼんやり(当時流行っていた?)、フェイスブックをぼんやり眺めていた。
これだ。
アンテナはボケていない。こんな方法があるとは!お天道様は、夢を持つ者に蜘蛛の糸を与えてくれるのだ。
なんとも他人がうらやましい(恨めしい)フェイスブックを眺めていると、右側の、これまで鬱陶しかった蘭、「あなたの友達かも」のところにさりげなく目を向けると「田中順子(仮名)」の写真があり、当然知り合いでも、何でもなかったのだが、ステータスのところに、「職場:NHKエンタープライズ」と書いてあったのだ。
きた、この手があったか!!
僕は知り合いでもない、その田中という女性に友達申請すると、すんなり友達になってくれた。
さらに面白いことは続く。と言っても至極当たり前だが、田中さんのお友達には、NHK関係の人がゴロゴロいた。
これまで、なんの突破口もなく絶望から多忙に陥っていたのが嘘のよう。
私はなりふり構わず、そのNHK関係者を片っ端から友達申請し、測ってはいないが、大凡、半分くらいは友達になってくれた。 そう、笑っていいとも!のテーマ「友達の友達は、、、」(平成生まれはピンとこないであろうが)の原理で、蜘蛛の糸が、今度は蜘蛛の子が散るように、わんさか、NHK関係者、いわば【NHKリスト】が出来たのである。(友達申請し過ぎ、一時、アカウント停止にもなった笑)
大袈裟な表現であるが、これまでスカウトされる立場であった私が、スカウトする側になったのである。
NHK関係者の友達、ザッと150人。
その中から、何の知識も見識もない私が、その150の中から『凄そうな人、決定権決定権がありそうな人』を絞りに絞り、その1名、Nさんを仮採用!(どんな立場だ)
150人全員に送っても良いのであるが、逆に妙な噂が立ち、NHKどころかSNS界から追放されるので、大事に人を選んだ。
(のちに述べるが、そのNさんとは今でもお茶したり、お酒を飲みに行ったりしている)
そのNさんはNHKの子会社、NHKエンタープライズの番組統合エグゼクティブプロデューサーという悍ましい肩書きを持っており、歳も55才と、これからテレビ業界で、最後の大きな花を咲かせそうなオーラを、少なくとも私は感じた。
その方へ、フェイスブック内のメッセンジャーでプレゼンすべく、下書きを3、4日ほどかけて作った。
すごく長文であるが、箇条書きにすると、以下のようになる。
■初めまして〜、自己紹介(音楽家であることなど)
■子供の頃から、みんなのうたの大ファンです(半分以上ウソ)
■そのな番組に僕も集大成の楽曲(YouTubeにあげていた曲)を聴いてもらいたいし、できたら、みんなのうたの担当者にも聴いてほしい、いや、売り込みでもなんでもない、ただ感想が欲しい
■私は黄殿(Nさん)とは面識がないし、実は、このような下心があり、友達申請しました、ご無礼をお許しください、そして、無視していただいても構いません!
ザッとであるが、上記のようなことを、かなり長文で送った。(送る前は何度も読み直した)
10日、20日が過ぎ、やっぱ失礼なことしたなあ、無視されて当然だなと思っていた25日過ぎたあたりに、Nさんより、メッセンジャーで返信があったのだ!(ゴクリ)
内容は、
「いやあ、とても面白い曲書くねえ!!」(別記事であげている「おでんdeアロハ」)。
「実は僕のデスクの裏が、みんなのうたの班でね、聴かせたら、今にでも、この曲をみんなのうたでOAしたいと」
「でもねえ、一度、一人に対してでも「公知」になると、NHKはダメなんだよ、YouTobeで再生回数が1でもつくと、公知になるんだよなあ、だから、この曲はテレビに出せないんだって」
「プロデューサーの携帯番号とメアド教えるから、一度、話してみる?」
ガッツポーズだ。
そして、線香花火の最後の灯火が大きなソレになった。
もちろん、そのメールを受け取ってすぐ、返信もせず、みんなのうたのプロデューサー(以下、P)に電話した。
Nさんも、そのPに私のことをしっかり説明していたらしく、Pもピンときていた。(実にありがたい)
私は、みんなのうたっぽい楽曲を3つほど持っていたので(作っていたので)、即、メールで送ることを約束した。(これも奇跡)
Pの感想はやはりプロだっった。どの曲も、可愛く、素敵で、みんなのうたっぽいのですが、スパイスというか、何か面白みが足りないですね、とバッサリ。 特別、驚きはしなかった。曲を作った本人、全く同じ意見であったからだ。そう、易々と騙されない・・・。
そこで火がつき、そして、冷静になった。
ようし、本気で作ってみようじゃないの、つか、目標はみんなのうた採用(「採用」はNGワードらしい)は通過点で、企画の本目標は「音楽で10億円稼ぐ」、である。
私は、これまでメガヒットした「だんご3兄弟(のちにお母さんと一緒とわかる)」「ドコノコノキノコ(これもおかあさんといっしょ)、「およたい焼き君(これは民放)、あらゆる曲の要素を数学的に分析し、マトリクスを作り、自我を無視して、大ウケする楽曲制作に臨んだ。
*男女のデュエット(これはのちに、うたのお兄さんとお姉さん、ということを知る)
*どことなく、切なく、ペーソスあふれる、涙腺をつつく歌。
*それを食べ物で表現す。
など、上記は一例で、箇条書きで30項目をマトリクス化した。(当時はチャットGPTなどない)
それで出来上がった曲が「ぎんなん楽団カルテット」だ!(リンク)
数十年前の話とはいえ、曲なんてアップローダーでメールでヒョイと送れるのであるが、自身の興奮を抑えきれず、アポをとり(確か日曜日)、渋谷駅から道玄坂をのぼり、NHKエンタープライズへ向かい、門を叩いた。(ま、入り口でPに電話したんだけど笑) 楽曲はCDRではなく、直接、マックブックG4で、ドヤっ!と聴かせた。(当時のマックブックは重いのなんの)
Pは真剣に聴いてくれた。
「面白い曲ですね」「少し預からせて頂けませんか?」という回答であった。
面談は、ものの15分程度であったが手応えはあった。
その後、アポを取っていた大大恩人のNさんと同社内で面談。感謝の意を含め、お互いプカプカ煙草を吹かしながら話した。(あの頃はタバコのハードルはそんなに高くなかった)
みんなのうたPに会ってから、3日おきにメールがきた。
面白い曲だけど、ストーリーを工夫すると、もっと面白くなる、という主旨だ。
私は、何も思わず、歌詞や構成を数パターン作ってはおくった。
Pの回答は真剣そのもので、いや、前のあのフレーズは残して、大サビを増やして等、云々。
Pと言っても、20歳代の若い女性だ。
何かを私に求めていることは容易にわかった。
そして、単刀直入に訊いた。
『私の曲(ぎんなん楽団カルテット)は、世に出る方向なのか?』と。
Pは白々しく、回答を拒否した。が、私の曲は、OAに向けて動いているのはわかった。
そんなこんなで3ヶ月やりとりが続き、先方も気に入ったようだった。
ただ、ヤキモキするのは、私の曲の行方だった。
ある日、サラリーマンの会社で来客があり、仕事の案件の添付ファイルをプリントアウトするよう、上司に命令された。 私は、普段の通り、デスクのPCに座り、案件のメールを探していたところ、私の個人アカウントメールにみんなのうたからメールが届いていたのを見つけた。
「やった」
と確信した。
内容を見る前に、みんなのうたメールに添付ファイルがついていたので、何か、うまく転んだと思ったのだ。 そして、仕事メール案件の添付ファイルを探す前に、みんなのうたからのメール本文を見た。
「本年、10月-11月の新曲は中村さんの“ぎんなん楽団カルテット”で内定しました、という内容であった。
みんなのうたの添付ファイルには、SNS等で告知する際のガイドラインや、楽譜制作の割り振り、そしてプロデュース権が、NHK出版と私との、折半になる旨であった。
サラリーマンの来客のファイルをプリントアウトし、顧客と打ち合わせをしたが、頭の中ではガッツポーズ以外なく、非常にニコニコして対応した。
プロデュース権、いわば、誰に歌わせるか、というのが主な内容であった。(デモ、というよりカンパケで作った曲をそのまま使わないことを初めて知った)
私は、直感で(デュエット)なので、男性は竹中直人、女性は誰でも良いという提案を挙げた。
NHKサイドは竹中さんは、何故かNG、アイドルの「LinQ」に歌わせてはどうかという提案だった。
私が作った楽曲、シュールな感じで行きたいのでアイドルはNGと叩きつけたところ、わざわざ、NHK出版の課長と、みんなのうたのPが私と協議すべく、福岡まで来たのであった。
先方は、副案を用意しており、男性は前から歌手デビューしたがっていた俳優の「高橋克己」さん、女性は、明石家さんまさんの前妻「大竹しのぶ」さんと交渉したらしいが、ちょうど、彼女のベスト盤をリリースするということで、曲カラー的にNGとなったと聞かされた。
男性パートの高橋克己はキャラ的に(銀杏のような頭w)、即OKを出し、女性はNHKに委ねた。
結果、当時は全く知らなかったチャラン・ポ・ランタンが女性パート、編曲になった。
チャランポのレコーディングは早々と終えたらしく、私は、(興味本意もあり)、高橋克己さんのレコーディングに立ち会った。もちろん、高橋さんと会うのは初めてであったが、テレビで見る、そのままで、好意に感じる方であった。
エイベックスの南青山スタジオ(チャランポの移籍先のレーベル)で、高橋さんの歌録りが始まった。驚くことに、日々車の中で練習はしていたとのことだが、プリプロ1回、本テイク2回で、わずか20分で終わった。
ここまで、大事に大事にしてきた私の作品、決して高橋さんの歌はバッチリと言える代物ではなかった。エイベックスのエンジニアPに確認した。あのエイベックスだ。下手な歌でも、音程調整などするのか?と尋ねたら、軽くリバーブをかけるだけとのことでガッカリした。
でも、そこはプロ。テレビのプロであるNHK、歌の良し悪しを総合に捉えるエイベックス。
下手ウマな感じが、後に出てきた映像と組み合わせたら、最高に面白い作品となっていた!
やはり、楽曲を丁寧に丁寧に扱ってきた、いわゆる、視界の狭い私に比べ、プロの捉え方は格別であった。そう、僕の曲が「みんなのうた」として完成したのである!!
レコーディングを終えた夜(その時はまだ歌のクオリティに悶々としていた)、大恩人のエグゼクティブプロデューサーNさんと渋谷で飲むことになった。Nさんの考えや狙いを、奥深く聞くことが出来た。「中村さんのメールは冒頭から下心があったのはすぐにわかった、でも、この人、本気で何かでのし上がろうとしているな、そう思ったんですよ」とN氏は気持ちよさそうに話した。
我々、NHKもピンチである、力を持ったエグゼクティブクラスは、視聴率のため、タイアップのため、その他あらゆる利害を考慮し、作家を選んでいる。Nさんは、それに未来のNHKに脅威を感じ、中村さんのような、野心を持った人が入り込めるようにフェイスブック等のSNSをやっていたそうだ。
大袈裟だが、小説のような、出会いである。 偽物?からは、よくメールが来るが、野心の脂汗の匂いがするメールは、ほとんどないことで、逆に恩人であるNさんは、この私に感謝してくれたのである。涙ものだ。 それ以来、上京するたびに時間があえば、飲みに行ったり、お茶したりと、今の今でも付き合いが続いている。
「ぎんなん楽団カルテット」は、私の数学的狙いの通り、みんなのうたの中でも、ここ近年では、大きな反響であったそうだ。しかし、残念ながら、貴方が知らなかったように、社会現象にまでは届かなかった。そう、音楽で10億円稼ぐ、には到底届かなかったのである。企画は失敗に終わった。
しかし、もちろん、良いことも多い。音楽をしている、NHKみんなのうたに曲を提供したことがある、だけで、音楽の営業はもちろん、私がやっている様々な営業(怪しいのもあるがw)では滑り知らず、ガッツリ、私のことを買ってくれるのだ。やはり、国民的長寿番組の仕事をすることは、凄く影響力が高い。
しかししかし、このぎんなん楽団カルテットの成功(?)で、私は自分の音楽に過剰に自信を持ち、妻子あり、住宅ローンありの状況下で、サラリーマンの仕事をやめ、音楽家として独立し、NHKは10連敗、秋元康さんのコンペも候補に挙がるものも、実を結ばず、わずか2年で資金ショートし、鬱になった。(ちなみに、NHKみんなのうたは、噂?通り、ピッタリ、印税200万円強であった)
音楽で一生を暮らす夢から、奈落の底、ドギツイ派遣労働者と成り下がった。(と言っても、そもそも、それが私なのだ) もちろん、音楽が全く上手くいかなかった訳ではなく、無名であるが、アイドルの曲や、企業のCM曲、社歌や、有名アーティストへの曲提供も携わったが、妻子と超重たい住宅ローンには完敗したのである。
その時は、人生終わった、人生、負け組だ、死んで何かを償おうか、など考え続けていたのは事実であるが、時はたち、事業の立ち上げのマネージャーや、嫌で仕方なかった営業の仕事など、ポジティブに、そして楽しく人生の荒波を楽しんだ。
考え方次第である。
40代半ばで、派遣社員になれることは、非常にラッキーだ、大手で働いている人や、ド安定な公務員の人は、派遣の仕事を味わうことができない。背は腹に変えれない、様々なマネーメイクは、新卒から定年までお役所の窓口で、安定した給料をもらい、何の荒波にぶつかることが出来ない方々が、逆に可哀想に思えたし、今でも思っている。(安定人生を送っている方、ゴメンナサイ)
そう、私はお金だけではない、スイもアマイも感じ取れる経験、体験を今も歩んでいる。 脱サラして離婚して、何も残っていないのではなく、あらゆるものを手に入れた感触は実に心地よい。
もちろん、資金繰りは大変だ。
話が脱線しつつあるが、そう、『みんなのうた』の実績は、刺青のように、消えることはない。
私は、まだまだ、みんなのうたや、おかあさんといっしょ、そして自身のバンドで、ビッグチャンスを掴むことにブレはない。一度、成功体験を踏むと、必ず最後に勝つ、という感触は消えない。
今の私といえば、たくさんの事業やマネタイズを持っている。
もちろん、音楽業も一つ、これまで食べず嫌いだった仕事、資格としては通関士、弁理士まで目指している。その一環でnoteも始めた。 もう50歳、やり残しのないよう、生きている。
やれば、アンテナを張っていれば、地面にお金や幸せが転がっていないか、を軸に置くとチャンスは向こうからやってくる。そう、スポーツカーでぶっ飛ばす人生なら、街路に咲いている綺麗な花を見つけることはできないと思っている。
と、ややブレた文章になったので、まとめたいと思う。
一つ:やってほしくないこと
二つ:期待してほしくないこと
三つ:みんなのうた含むNHKの事情
四つ:経験から得た、ノウハウ
以上を以下にまとめたい
一つ:やってほしくないこと
このnote通り、私の戦術で望むのは良いが、私の記事、私の体験を相手(NHK)に言ってほしくない
二つ:期待してほしくないこと
私はNHKのパイプ(NHKのキーマン)の連絡先などを持っているが、これは読者には教えられない。自分で掴み取ってほしい。
三つ:みんなのうた含むNHKの事情
NHKの各番組チームは2年〜5年と幅はあるが、6月に人事の移動、すなわち、番組の制作スタッフやPやEPがゴロッと変わる。
四つ:経験から得た、ノウハウ
三つ目の延長であるが、仮にみんなのうたとパイプが取れ、楽曲を提案し、バッサリ断られても、大事に(公開せずに)持っていてほしい。というのは、三つ目に挙げた、PはEPが定期的に変わり、彼らも人間である以上、好みや対応は全く異なるゆえ、作った作品は「何度も使える弾」と思って大事に保管しておくことを強く勧める。開き直ってYouTubeなどにアップすれば、公知となり、使えなるからだ。 ちなみに2024年12月現在のみんなのうたチームは、非常に塩対応で、会ってくれさえもしない。 これについては、チームが変わり、また侵入しやすくなったら、作品をぶつけてみればいい。(機会が許されれば、今は氷河期、今は旬、など皆に伝えたい)
以上、後半は特に取り止めもない記事になったが、全くもって、事実中の事実である。
もちろん、これら情報、また、これ以上の情報を持っている人は沢山いると思う。(所謂、先生レベルの人) これを読んでくれた読者の方にお願いしたいのは、役に立とうが立つまいが、口外市内で欲しいし、SNS等でアップするのは、絶対やめてほしい。私も覚悟を決め、この記事を書いた。
これが出回ると、NHK出禁はおろか、訴えられても不思議ではないのだ。
みんな、兎に角アンテナを張って、切り込もう!
そして共有できたら嬉しい!
臭い言葉だが、「諦めなければ、必ず、未来は開ける」、これは本当だと思う。
長文にお付き合いいただき、感謝を申し上げたい。
みんなで最後に笑おう!
ひろぽんこと、中村寛
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