私は39歳まで、無風状態のサラリーマン生活を送った。
無風と言っても、もちろん、取引先との折衝等、多々あったが、
自身の収入にプラスもマイナスも影響なかった。
仕事もわりと熱心にしたし、やりがいらしきものも感じた。
ただ、本当に「生きている」リアリティがつかめず、一か八かで、
サラリーマンをやめ、自身で事業を立ち上げた。
独立当時、もちろん何もない。いわゆるゼロだ。
ゼロだと、いくら良い仕事をしても収入もゼロ。信頼もゼロだ。
独立は簡単に考えていて、サラッとこなせば、すぐ100になると思っていた。
甘かった。野球で言う、スコアボードにゼロがならんでいった。
知人のよしみで、0.01位の進歩はあったが、すぐにゼロに戻り、
事業に失敗した。
ほんの0を1にするだけのことに、負けてしまったのだ。
迂回すべく、派遣会社で働き、知人の紹介で老舗の中堅会社に入った。
ルート営業という、どうカテゴリーしてよいか分からない職種。
そこはゼロどころか、60くらいあって、60を60のままでいても、
誰も文句をいわない。それで安定した収入が入る。
60も進んでいれば、61、62...65と増やして行くことは容易い。
収入は安定していたが、これではダメ人間になると思い、辞めた。
そこで、兄が防水工事業とは全く別の新事業を立ち上げると聞き、
私は手を挙げた。またゼロのスタートラインに立てるという、
恐さと楽しみ、死ぬか生きるか、大げさに言えば、そんな感じだった。
(大げさではないだろう)
私は営業という営業はしたことがなかったが、新規事業はとにかく顧客も
ゼロだったので、なりふり構わず、営業した。大嫌いだった異業種会にも
超積極的に参加し、名刺交換どころか、相手のスマホを借り、私のLINEを登録させたりした。無謀な行為、死に物狂い、ここでゼロをゼロで終わらせたら、もう生きる意味がないと、自身に言い聞かせ(言い聞かせるもなく、その緊張感はあったが)、もうなりふり構わず、とにかく1つの新規顧客を得るのに、無我夢中であった。これら強引かつ積極的な吐きそうな努力の甲斐があり、新規顧客を1つ、獲得した。そう、私の中では0が1になった瞬間だった。感無量であった。
とにかく嬉しかった。
職種は何であれ、ゼロを一にする、これは並ならぬ努力と忍耐が必要だ。
上にも書いたが、1をゲットすると、2,5,10までは早かった。わずかなのか、やっとなのか3年で300社の顧客を作った。アクティブな顧客は200社くらいかな。
しかし、私の中で大きな自身になったし、その200社は、私を可愛がってくれて、中村君、中村君、と電話やメッセンジャー等で、色々案件を紹介してくれたり、飯に連れて行ってもらったりした。
その後、兄貴の会社とは喧嘩別れした形で離れたが、顧客200社は私についてきてくれた。
0から1の努力を行ってきたかいあり、他の商売案件も案内でき、多角的な取引を生み、今にいたる。新たな事業を始めようとしても、あの苦しみに苦しんだ経験をもとに、「0から1」に持ってゆく自信と術を習得していたので、なんとか滑り出すことは出来だした。
これは何の業界においても変わらないと思う。ラッキーで1にすることは出来ない。
なりふり構わず、超全力で、裸になりぶつかれば1は獲得出来る。
この体験や術は、今後の私の財産になると確信している。
何だって怖くない。案件があれば、トライ&エラーの繰り返しで、何かをもぎ取る。
トレードオフも学んだ。何かを成し遂げようとすれば、何かを失わないと進めないこともある。良いとこどりは虫が良い話で、成立はしない。いつも、このエラーから学ぶか、今はペンディングにするか、これをやるには、夜のゆっくりした時間を奪われることになるが、それでも進める価値はあるか、など、考慮と判断の繰り返しになる。
しかし、どのフェーズにおいてもゼロイチの壁があり、判断や加圧により、1をもぎ取り、それを育て100にする、これの繰り返しで、自身を確立できていると自負している。
みんなに言いたい。(もちろん皆ではないが)悔しかったらゼロからイチを生み出してみろ!サラリーマンや役所仕事ではその必要はないだろう。だからつまらないのだ。
生きる証を得るにはまずゼロになろう。そして、飽くなくイチを目指しもがきまくろう。
そこには「1」というキラリと輝いたあなただけの宝物を売ることができるから。
つづく
追記)これは、ホリエモンやひろゆき氏等の著名人の本から抜き取ったものではなく、
私の実体験なので、間違いないと自負する。
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