私の母の話である。
年齢は84歳、至って健康で、物忘れは多少あるものの、
特別、ボケていない。
そんな母であるが、1年前は物忘れが激しく、思い込みで脳腫瘍と捉えていた。私は当然心配だったので、母を連れ、知っている脳外科の名医を訪れた。
脳はいたってキレイであるが、アルツハイマーの初期の初期である旨、告げられた。このままではアルツハイマーの進行は進み、進行を和らげる薬をもらったものの、やはり、このままでは心配だ。
子どもたちは当然、それぞれ巣立ち、父も約10年前に他界し、母はそれ以来、一人暮らしだ。食事は近くの総菜ですませ、料理もつくらなくなった。
以前に亡くなった祖母は90歳まで一人暮らしで、やはり90歳台を一人にしておくのは危険と思い、私の母の妹、そう伯母に面倒をみてもらうことにした。伯母に預けてから、みるみるうちのボケが進行し、俳諧や食事した記憶をなくすなど、深刻なアルツハイマーに陥り、その数年後、ボケたまま、老衰でなくなった。
これら経験がある以上、私は煩悶した。
我が家に連れて帰り、私たちが面倒をみようか、しかし、都会好きの母が私の住むド田舎の集落へ来るということは、母にとっては苦痛であり、また、祖母のようにアルツハイマーが進行するのではと思い、ある方策に出ることにした。
それは、私が、母がひとりで住んでいる、いわゆる「実家」にすむことだった。
職場への距離の便宜上もあるが、私が母を世話するのではなく、母に私の世話をしてもらった。正しく言うと、息子である私が転がり込んで、仕事へ行き来することにより、母性を思い出し、朝ごはんの準備、弁当作り、そして晩御飯の準備を、率先してやるようになったのだ。話し相手にもなり、言葉が出ないときは、ほどよくヒントを与え、母の口(頭)から正解の言葉を発させた。いじわるではなく、時には難しい会話をしたり、僕に頼らないで、スマホでこうしたら、これが上手くいくよ、など脳をとにかく使わせた。
もちろん、難しい手続きや、DIYなどは私が行ったが、ゴミ出しや料理、洗濯はほぼ母に面倒みてもらった。何曜日にカン瓶を出すのか、わからなかったが、言い方悪いが、ひとつひとつ仕付ていくうちに、母自身で考えて出来るようになった。 能の病院の先生も、これは薬を減らしても良いほどの回復だ、と驚いていた。
もうひとつ仕掛けたのは、母が録画していたHD内一覧を見ると(録画はしっかり出来ていたようだw)、動物の特集番組が多かったため、妻子で飼っていた猫をつれていったことだ。最初は、母は難色をしめしたが、内心嬉しかったようで、以来、猫を可愛がり、猫と話し、猫の世話もし、猫の心配もするようになり、脳と体力がより活性化された。
スマホでYouTubeの見方はおろか、そのYouTubeで料理のやり方や、脳や長生きにとって良い料理やストレッチなど、調べる癖もついた。母本人、なんだかんだ言って健康的に長生きしたいようだ。
私は母が動けなくなり、アルツハイマーが進行して徘徊したりするようになっても、面倒を見ようと思っている。親孝行らしいことをひとつもしなかった私の最期の孝行だ。
私の徳積にも良いと思っているので、してやった、とか、そういう風に思わないようにしている。
次の日曜日の夜は、最近DJデビューした娘(母にとっては孫)の晴れ舞台を観に、小倉のクラブに母同伴で行こうと思う。若いころを思い出して欲しいし、なかなか体験できないことに付き合わせようと思う。
母よ、ありがとう、そしてこれからも100歳、いや120歳まで健康的に長生きをしてほしい。
noteでも色んな記事を掲載しています!
コメント