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【今日のコラム:鬼の北九州第3団】

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小さな頃、大きくなったら何になりたいか?と聞かれたので、「大きくなりたい」と答えたらビンタを喰らった。「このヒネクレ小僧が」と。いやいや、大きくなったら、より大きくなりたいの日本語がなぜ理解できないのかが当時小学2年生の私には分からなかった。

大人ってなんで理不尽なんだろう。その先生も今の私より年下のはずだ。
恐らく、日本の教育というか文化自体が凝り固まった、柔軟性のない教えだったのだろうか。



しかし、このご時世、ビンタやゲンコツなどしようものなら、やれ虐待だパワハラだと、こちらもこちらでうるさい。当時の教育価値観で、現代のコンプライアンスを掛け合わせると、乱闘になって楽しいだろうな、と妄想してニヤついている。

私は小学生当時、ボーイスカウトの低学年版、カブスカウトに入団していた。

私が所属していた団は、日本の中でも一、二を争うほどの厳しいというか、帝国軍のような団であった。少しでも阻喪があると、踵で後頭部を蹴られたり、竹刀でボコボコにされたり、町内をフリチンで歩かせるという、コンプラとは無縁、むしろ自衛隊より厳しい団であった。年に1回、全日本ボーイスカウト競技会という、うさん臭い大会が開かれていたが、上記のとおり、朝鮮人のように訓練されたわが団「北九州第3団」は、ぶっちぎりで毎年優勝していた。むしろ、他の団が幼稚園生か、それ以下の赤ちゃんに見えるほど、ぶっちぎりであった。もちろんであるが、その時の体験は今では何の役にもたっていないところか、トラウマになっている。

40年近く経った今も、過去のことがトラウマでパニック症状が出ると訴えたら勝てそうだ。



訓練といえば、今考えると、いずれも理にかなっておらず、なにかあれば、歌いながらうさぎ跳びで急階段を登る。一人でも遅いやつがいたら、また、階段の1段目からやり直しだ。手旗信号も何の役にもたっていない。先輩がふざけて「チンポコ」と信号を送ると、団幹部に見つけられ、例のうさぎ跳びであった。

恐ろしくキツく、何の役にもたたなかったカブスカウトであるが、やはり今となれば良い思い出となるし、皆に語れる。夜遅くまで訓練があった時など、お金持ちの先輩が、テイクアウトの焼鳥を奢ってくれたりしたし、帰りにのむ、サイダーが最高に上手かった。


そうだな、一つ教訓になったのは、メリハリがあれば、あとになれば、許せるということだ。この団に入団させられたことを悔いても仕方ないし、話題がひとつふえただけでも良いと考える、大人になったものだ、私も。

つづく



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