私は自分のことを、才能溢れる人材と思っている。(自画自賛)
ブログの才能はイマイチであるのは承知であるが、作曲からお笑いまで、
芸能に関することについては才気ある人と思っている。
最近では、これを脅かす奴が現れた。いや頭角を現しだしたのである。
私の娘、中村日和(hiyori)である。
彼女は私たちの長女で、その多くは私の遺伝を多く引き継いだ。
英才教育(お笑いの)も、惜しまず叩き込んだ。
下の動画を観ていただいたら、大体わかると思う。
小さい頃は、父親(私)の顔にクリソツで、本人も嫌がったが、
まあ、いたずら好きな、やんちゃな少女時代を送った。(ヤンキーではない)
芸術的な才能は、無くなかった。
彼女は昔から少々変わっており、小二で一級建築士なりたいと言い出したかと思えば、次は、芸人になりたいなど、夢というか、志はしっかりしたものがあった。
そう、ブレがあまりなかった。
ある意味、芸ということについて、志す気持ちが強かった。
幼いころは本格的なフラダンス、小学生中年ころには、率先してダンスチームをつくり、その振付をし、10人くらいでそのセンターをやっていた。
とにかく、「創る」ことが好きで、料理以外、たいていのモノに興味を持っては、オリジナル作品をたくさん創っていた。
中学に上がってからは、吹奏楽(ホルン担当)にのめり込み、娘を中心とした吹奏楽部は初の県大会に行くなど、みな、娘の影響を受け、まっすぐ前を向いて走った。
高校はわりと頭が良い高校に進んだ。娘の学力では到底無理であった学校であったが、芸が身を助けるというのか、吹奏楽部員として、逆推薦を頂き、見事進学。
もちろん、吹奏楽部に入り(その高校は吹奏楽に力をいれた名門だ)、1年生でホルンのリーダーとなった。
高校2年生頃からDJも始め、テクニックというより、彼女が選曲する洋楽・邦楽に大人の酒飲みも、唸るしかなかった。
短大は「服飾学部」に進み、本格的にファッション(服飾)デザイナーの道を歩んでいる最中だ。私はインスタで彼女にブロックされているため、その才気溢れる、豊かな感性を投じた衣類や自身のエキゾチックな着こなしをここで紹介することができないのが残念である。
今では長年芸能活動(主にバンドや音楽作家業)をしていた私(それなりにインフル力はあるのだが)を軽く超え、今では彼女は若者からインフルエンサーとして熱い支持を得ている。
いつかはこうなる日がくるのは分かっていたが、私の血をひいている娘が、世界を飛び回る日を待ち好んでいる。そして、ライバルとしても生涯現役の私に強い刺激を与えてくれるのを切にねがう。
つづく
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