
私は今年で50歳。半年前に離婚した。
とはいえ、元妻も子供たちも、私の家に住んでいる。
所謂、家庭内別居(離婚)だ。
離婚したのには色々理由があるんは言うまでもない。
私は特段、離婚はしたくなかったのだが、元妻がしびれを切らして離婚する運びとなった。
大きな理由の一つとして(これが一番だろう)、収入が少ないことだ。
厳密にいうと、収入はけっこうある方だが、私が必要以上に出さない。
若干浪費癖があるというか、管理能力が低い家内にとっては、「金」で満たされなかったのだ。(それでも立派な一軒家と車は所持している、払いも私だ)
約9年前に脱サラし、音楽業として独立、小さな子供二人と妻、そして新築のマイホームを建てたばかりだ。会社に辞意を伝えたことも、家内へは事後報告だった。
前にも書いたが、それ以来、私は副業ではなく「複業」家として、生計を立て直した。
住宅ローンだって、10年、一度も払い遅れはない。
ただ、昭和気質の家内にとって、複数の仕事で生計を立てている=不安定が気に入らないようだった。すなわち、私へ不信感を抱きだした。複業の中には、ネットワークビジネスや暗号通貨マイニングなど、家内にとっては、ブラックな仕事もあった。私としては、もはや令和、未だにネットワークがネズミ講だとか、暗号通貨が地に足がついていないとか、リテラシーが低いことを、遠回しに家内に伝えたが、理解されることはなかった。
もう一つ、大きな理由としては「性」の不成立だ。
家族として(家族がポイントかな)、愛はお互いあったに違いない。ただ、もはや男女の仲としての夫婦生活は成り立たなかった。お互い、深いところで「性」で繋がっていたい、という考えはあったのかもしれない。しかし、我が家だけでなく、夫は仕事に追われ、妻も仕事にでないと成り立たない社会。そして、子供中心の生活。そこに「性=SEX」が張り込む余地は、とうていない。これは、多くの人が抱えている問題だと思う。
しかし、世の中、離婚する夫婦はさして珍しくはないといえ、50を過ぎても仲の良い夫婦、性生活などもうありえない、熟年の仲が良い夫婦。実際、離婚してみると、街中で手をつないで歩く老夫婦をみるとやるせない気持ちになる。
性が、あらゆる理由や生理的な現実で遠ざかってゆくことは仕方のないことである。
だが、私に足りない部分は多々あった(ある)ように思う。
月並みな表現であるが言葉による愛、や、感謝、そしてSEXではない広い意味のSEX、そうスキンシップの欠如など、多くの部分が不足していた。これは私に限らず、妻も同じことが言える。事業に失敗した私に罵倒を浴びせ、男を下げられ続けたこともある。やけになりアルコールにおぼれた時期も、私にはあった。
「ひよこが先か?たまごが先か?」これにつきると感じた。男を下げられ腐っているのではなく、歯を食いしばって、そして死んだ顔を無理をしてでも、ニコヤカに、お金がない中でも、家族イベント、夫婦イベントを率先する、それにより、より良いレスポンスがあったのではないかと後悔している。
かといえ、離婚し半分は肩の荷が下りたのも正直なところだ。
自分の好きなように生きれるし、家族の顔色も伺わなくて良い。
恋人だって作ってよいはずだ。
しかし、何とも言えない、黒く曇った寂しさが私にのしかかっているのは事実だ。
結婚して、2年で離婚する早期離婚はまだマシと思う。
人生の半分近く寄り添いあった妻を、(形式上であっても)失うことは、ひどく虚しい。
とりとめのない話になったが、
金や性を補うものはたくさんある。
言葉やふれあいや、思いやりである。そんなのハナから分かっている、と思われがちだが、
私にとっては、いや、皆さんにとっても、意外と難しい習慣なのではないだろうか。
大金渡して、週に1~2度、SEXをすれば、健康な夫婦生活、それは違うと思う。
夫婦、家族といて「人間関係」だ。それを社会と捉えず、甘えに走り、大切なことを後回しにすると、私のような虚しい男(女)になってしまうのだ。
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