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40代、脱サラして得ること

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わたくしごとで恐縮であるが、これも貴重な体験なので、
販売記事として掲載したい。

わたしは40歳ちょうどで脱サラした。
給与は高くないが、文句のない待遇であった。
上司(社長)や取引先とも馬が合い、人間関係に困ることなど、
非を認めるものはほとんどない。

きっかけは、副業というか、信念でやっていた音楽制作が実を結び、
NHKみんなのうたから注文依頼(制作依頼)があった。



この時思った、人生1度きり、片手間でやっていた音楽、
本当に好きな仕事を本業にしても良いのでは?

大金持ちにならなくても、家族くらいは食わせていけるのではないか。
死ぬ時、後悔することだけはゴメンだ。

40歳、厄年、妻子アリ(子供はまだ小さい)、住宅ローン組み立てたばかり、普通なら無難なサラリーマンを続けるのであるが、わたしは真逆を走った。

思い立ったら行動は速く。上司(社長)に上記本音を言い、退職することに。社長の右腕というか、左腕まで任されていた人材を失うのは痛いはずであるが、社長の器、価値観に救われた。
退職の旨、家内には事後報告であった。当然、家内は不安を感じざるを得なかった
誰にも相談せず決めた。相談したら負けと思っていたからだ。

標題で挙げている、脱サラして得るものは沢山あった。
もちろん確実に失うものもある。トレードオフだ。
安定して暮らしたいが、夢もかなえた。それは無理な話だ。

脱サラしたということは、わたしは社長になったのだ。
そう、従業員も屋号もない、音楽作家として、独立したのだ。
この時覚えた感覚として、「脱サラした時点で勝ち組だな」と思った。
何に縛られることもなく、自分を生きてゆく。これが人生だなと思ったのだ。




音楽の仕事。今思えば当然だが、すんなり上手く行くことはなかった。
NHKからの依頼もサッパリ、〇元康さんの△△坂46等のコンペ。
惨敗だった。

脱サラして得ること、良いことはあまりない。
そう表面上の良いことはほとんどなかった。

今、50歳を迎えようとしている。
48歳くらいから、脱サラしてから、良かったことに色々気づく。
まず、既に生きていく上で、自身は一生社長なのだ。(先に述べたように会社はないが)
全ての責任は誰もとってくれない。自身が責任を取らなくてはならない。
これは、非常にキツイことであるが、生きている実感が半端ないこと、この上なし。
40歳台で、派遣社員になれた。派遣社員といえど、わたしヒロポンという社長なのだ。
この歳で派遣社員になれること、いろんなキツさを感じること、これは公務員で始まり、公務員で終わる、大手社員で始まり、大手社員でおわる、そんな人たちには実貫できない体験だ。
言い訳をすることがなくなった。だって社長なのだから。
サラリーマンは愚痴って呑んで吐き出せば済む、でも、それに何が残るのか?



ハングリーさは半端でない。
派遣社員をしながら、音楽業を続け、お金になりそうなこと(マネタイズできること)、すべて嫌がらずにやった。こんなにアンテナがビンビンになったのは初めてだ。
だって、社長だから。

お金になりそう=隙間時間で他のバイトをする、のではない。
様々な本を読み、「収入減を網の目のように増やそう」それだけを考えた。
このnoteをやっているのも一つ。まだ金にはなっていない。
サラリーマンなら、こんなことやらない。ラッキーだ、わたしは。

ネットワークビジネスは、元々嫌いで、というか苦手だった。
でも人はいつか死ぬ。食わずに不味いと言うより、食って不味いと言いたい。
意外とネットワークビジネスは上手くいっている。というか、これまで技術関係の
仕事しかしていなかった自分に営業力のポテンシャルがあるのに気付いた、ラッキー。
違法ではないが、どろくさいコンサルの仕事もやった。
助成金が得意な社労士と組んで、わたしは顧客獲得、社労士は法スレスレのラインで、
クライアントに助成金を受給させ、その成功報酬を社労士とわたしで分配した。
生きている心地。社長は生きる感覚を得ることが出来る。
これまで大の大嫌いだった異業種交流会も8種前後の会に率先参加。
生きるか死ぬかに大嫌いなど言ってられない。
ターゲットを見つけては、名刺交換はおろか、相手のスマホを無理やり借り、LINE友達に。
忘れられないよう、翌日、LINE連絡、アポどり、全て行う。飢えているからだ。
サラリーマン風の輩も異業種会に出ていたが、魂を感じれないので無視。
サラリーマン時代は、わたしも無視されていたのだ。

FXや暗号通貨も勉強、実践した。FXはいずれは負けることがわかり、やめた。トライ&エラーだ。これまたラッキー。暗号通貨はかなり勉強した。様々な意見があるが、勉強していくうちに、本物の情報発信者を知ることができた。痛い目にもあったが、これもトライ&エラー。痛い目にあわず、うまくいくことなどない。ラッキー。

時系列は無視するが、音楽業がしぼんで行く中、心を病む。
そう、パニック症や軽い鬱になった。
心療内科に通うことになった。
社長なので、ただでは終われない。ここでは話せないが、うまいことやって障害年金とやらを得ることに。来月には障碍者手帳が出来、あらゆる面で優遇される。マネタイズには、色んな種類があるし、恥じてたりしても仕方ない。社長だからだ。

ストック曲の制作費(時間)を稼ぐために、CDを創る体で、クラウドファンディングを始め(前記事参照)、マネタイズに成功。良き経験も得た。ラッキー。

時間軸、現時点で昔の部下であった女性の会社で働いている。
所謂サラリーマンとして。引き抜かれたのだ、私の能力を買って。いや、信頼の方か。
ただ、昔のサラリーマンとは違う。サラリーマンもただの財布の入り口のひとつ。
マネタイズのひとつであり、バカな経理がやめてくれたおかげで、経理経験のない私が買って出て、手間のかかる経理をゆるくやりながら、このnoteを書いている。
信頼を会社に売っているので、これまたラッキー。

ぼちぼち、食わず嫌いのセドリを始めてみようと思う。不味けりゃ吐けばいい。
経験は残る。



と取り留めもない話になって申し訳ないが、今の社長である私の収入減は、

*サラリーマン
*ネットワーカー
*病人(障害年金)
*ブロガー(note)
*音楽作家
*投資家(暗号通貨)
*助成金コンサル

ざっと、これだけを24時間8時間睡眠を取った上でくるくる回し、お金を得ている。
脱サラしてから、バカ高い住宅ローンだって、一度も遅れたことはない。

標題の答えになっていないかもだが、脱サラすると、人生の社長になれるのだ。

わはは、勝ち組だ。

追記)そうそう、どんな営業や折衝でも「わたし、本業は作曲家で、みんなのうたへも曲提供しているんです」、このフレーズは滑らない。99%は相手に興味をもたれる。なんの変哲もない草音楽作家が、天下のNHKに曲提供できたのか?はまたジックリ述べます







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