私が音楽を始めたのは15才頃である。
ちょうと、イカテンなどのバンドブームの時期であったが、
私が音楽(というかバンド、というかギター)を始めたきっかけは
そう、標題のローリングストーンズが初来日し、民放で目にしたのが
大きなきっかけである。
当時(1990年頃)は、まだ音楽番組も多く、深夜に地方版の洋楽トップテンみたいのをやっていた。洋楽アイドル(マドンナ等)も好きだったし、マイケルジャクソンもバリバリ、そしてギターハードロックなボンジョヴィやガンズも大好きだったなあ。
ギターを始める前は、特に洋楽アイドルやボンジョヴィ、マイケルジャクソン、時々ビートルズ。当時はレコードからCDに切り替わった時で、町にレンタルCD屋(兼レンタルビデオ)が軒並みに増えだした時期で、僕らは、興味があるアーティストや、ジャケ写が派手なもの(プリンスとか)を仮まくり、並のアルバムやシングルはノーマルテープ、まあまあ好きなのはハイポジ、生涯もの(結局生涯聴いていないが、また聴くかも)はメタルテープに吹き込み、暇があれば、テープのジャケ?に、あれ何ていうのかな、こすって印字するシールで曲名などを貼っていったものだ。
こんな感じで~~
ボンジョヴィに傾倒し、すごく憧れていたが、ギターを始めるなんて、リッチーのように弾くなんて毛頭なかった。そんな80年代末期から90年代に入り、私は大きな衝撃を受けることになる。そう、奴らが来ることになってから。
スポーツ新聞はおろか、普通紙にも大きな見出しを目にした。
「あの不良オヤジ達が、いよいよ初来日!!」 普通紙でこのような音楽のことが掲載されているのは初(私にとっては)のことだった。もちろん、広告ではなく2面あたりにでっかく、しかも、そのコンサートが(おそらく生放送ではなかったと思うが)、民放のゴールデンで2時間も放映される! な、なんなんだ! そう、それはザ・ローリング・ストーンズの初来日コンサートであった。地方版音楽番組でも、来日のきっかけとなる新譜のPVが流れ、うん、オヤジなのにイカシテいる、ギターの人なんか、くるっと回るパフォーマンス、ありそうでなかったことをさり気なくやる。ドラマーは不良オヤジと程遠い紳士な感じだけど、不良オヤジ達を後ろから力強く刺させている、ボーカルのパワフルな歌とパフォーマンスもタマラナイ、ミックジャガーっていうのか、聞いたことある名前だな。ベースのおいちゃんは、地味だけど、まだ耳の肥えていない私でもフレーズの悪さを感じ取ることが出来た。
これが世間を騒がせている「ザ・ローリング・ストーンズ」か!! いい!!!
そして、そのコンサート映像がゴールデンで放送された。
ショッキング! なんてカッコいい!!
これまで好きだったボンジョビは、定位置(ボーカルは真ん中、ギターは右、ベースは左、ドラムはうしろ)に対し、ストーンズは自由気ままに定位置など無視して、至る所でパフォーマンスをする。しかも、ギターの人たちは加えタバコで仕事をしている!うちの親父(溶接工)みたいだ!音楽にもこんなのアリなのか!ツインギターの掛け合いは、のちに知る一番かっこいいキースとわき役だが名フレーザーのロニーが、SEXをしているかのように、お互い近づいてグルーヴを生み出している。目にうるこだ。いうまでもなく、VHSに録画し、それこそ、テープが擦り切れるほど、日に3周は観たかなあ。
高校入試合格の祝いで、親にねだり、(キースモデルは変えなかったし、そんなギターを売っている店もしらなかったので)デパートの小さな楽器屋で、エレキギター(アリアプロのテレキャスタイプ)とアンプ、エフェクター(ディストーション;当時は何のことやら)、他付属品のセットを買ってもらった!(39,800円だったと思う)
おお!人生初のエレキギター!付属のシールドでギターとアンプをつなぎ、ボリュームらしきやらを上げ、音を鳴らすもキースやリッチーのようなそれはでなかった、アレ~~??
とりあえず、ギターセットに入っていなかった、エレキギター入門教則本を買う。洋邦問わず、名曲のフレーズの「タブ譜」というやらと、コツやそれらしく弾く方法がワンポイントで書いてあった。
その中に、おおー、ボンジョヴィの Livin’ On A Prayerがあったので、まずは好きな曲をと挑戦!おろ、意外と簡単だなー、コードというのも2カ所押さえればいいのか(5度コードというらしい)。その通り弾いてみると、なんとなくソレっぽいが、響きがイマイチ、ペンペンペンと迫力がない。ワンポイント解説をみると、どうやらディストーションを通し、歪ませること、と書いてあったので、あ、このセットの変なペダルのことか、とつないでみた。
オーマイガー!リッチーサンボラのあの音ではないか!それも私が弾いている!それで得意なり、今度は大好きになったローリングストーンズのタブ譜週を買う。同じくディストーションを通してみたら、今度はちょっと違う。(ブラウンシュガーだったと思う)その譜面にも解説があり、1段目のキースパートは「オープンG」チューニングにして、6弦を取っ払う!な、なんだ、小難しい!
そして、6弦を取っ払うなんて、なんて斬新なんだ!
とりあえず、時間をかけ、6弦は外し、そのオープンGコードというチューニングにしてみた。ディストーションは控えめに、か。
そして、タブ譜通り弾いてみると、びっくり!キースのイントロが弾けるではないか!
ちょっとギターうんちくが長くなったので、かなり省略して話すと、高校の友達Fにストーンズを紹介、また、上記の録画したコンサートのビデオに加え、購入したローリングストーンズ25×25(25周年記念ビデオ)を延々と観せ、その友達Fも、まんまと見事にストーンズフリークになった。
友人Fまではいかないが、たまり場であった私の家(実家)に友人を呼び、上記ビデオ群や音源を聞かせ、私たちは、ストーンズのコピーバンドを組むことにした、もちろん僕は特役でキース役、友人Fは、ロニー役となった。
メンバーはもちろん5人で、下ネタ混じりの、個人のメンバーネームもつけた。
*ファック・ジャガー
*ピース・リチャーズ
*ポン・ウッド
*ビル・ヤリマン
*チャーリー・ファック
と高校生が付けそうな名前である。(ファックが被っている)
周りのバンドに比べ、そこまでライブハウスで活動しなかったが、
学際の時はメインステージで王道の曲(ジャンンピンやビッチやブラウンシュアガーetc)
時はバンドブーム、渋い洋楽の私たちに比べ、周りのバンドはボウイ(デビッドじゃない、氷室の方)や、ジュンスカ、モッズにブルーハーツなど、邦楽コピーバンドは女子にキャーキャー言われ、正直うらやましかった。僕らといえば、マニア1人程度の客のみで、まあ、ウケないことウケないこと。
それでも、ストーンズと、それのルーツであったブルースなどに没頭し、ブレなかったなあ。
たまにはガンズやチャックベリーとか、寄り道もしたが、やはり基本はストーンズのコピーバンド。なんだかんだ、大学生の時まで、メンバーは入れ替わりながらも続けた。とくに、大学に入ってからは、ロニーのねちっこく、絡まるようなギタープレイにはまり、ライブ盤(ゲットヤーヤーズではミックテイラーのスライド、ラブユーライブではロニーの攻めのギタープレイ)を耳コピし、そうだな、女たちのビーストオブバーデンのロニーの単音弾きとキースのリフをまねたものだ。この音どうだすんだろ?で困った時に解決してくれたのは、ストリートスライダーズの音とタブ譜だった。当時はYouTubeはおろか、ネットなどなく、タブ譜も充実していなかった。よって、耳コピか、近いフレーズがあれば、スライダーズの蘭丸のタブ譜で答え合わせみたいなことをやった。
そう、18歳から20歳の間は、寝食も忘れ、指から血はでないものの、絶対俺のものにしてやる!という若い野心から、べらぼうにギターを練習した。
今の私のギタープレイはその3年間で決まったも同然だし、逆をいえば、20歳のテクニックで止まっている。
そんな中、ストーンズはスティールホイールズの次のアルバム(私が当初にハマったアルバム)から6年後ヴゥドゥーラウンジという、これまた傑作なアルバム作り上げ、ワールドツアーに入った。
その中に、日本もツアーリストに入っており、確か、東京ドーム6公演、福岡ドーム2公演、日本でのコンサートの計は8公演だった(はず)。
もちろん、私は予約の電話を解禁と同時にかけまくった。(当時は電話予約)
1公演10,000円もしたのだが(今では外タレにしては破格かな?)、東京ドーム2公演、福岡ドーム2公演のチケットをゲットし、涙をこらえて最初の公演に臨んだのを昨日のように覚えている。A席(一番良い席)は、ドームのアリーナからスタンド前列までと範囲が広く、当たりは1発目の東京ドームがほぼ真ん中の前から8列目!そして大当たりが、福岡ドーム2公演目、左端であったが、なんと1列目だった!初日、1曲目がダークテイストにアレンジしたノットフェイドアウェイ、正直ピンと来なかったが、2曲目のダイスを転がせ!で涙腺が溶けたのを思い出す。
福岡ドーム2公演目の最前列では、その公演に合わせ、F君とあらゆる応援グッズ(というか、ストーンズメンバーに気づいてほしい道具だった)をつくり、ロニー、キースは気づいてくれ、御二方にステージ上から、それぞれ礼をされ、我々は大興奮!
ミックはやはりフロントマンのプロのプロなので、手前の客には目をくれず、アリーナ後方やスタンド席に目を向け、パフォーマンスしていた。キース、ロニーを等身大で見たとき、なんだか小さく、しわしわだった、が、ああ、ストーンズとはいえ、同じ人間なんだと思い、感極まったのも思い出す。
そんな感じで、我々のヴゥドゥーラウンジ日本ツアーは大盛況中、終わったのである。
もちろん、余韻と虚無感が同時に押しよせてきたのは言うまでもない。
大学生になってから、特に4年生頃から、古き良き時代の音楽から、新しい音楽が洋邦問わず、ムーヴメントが起こり(田舎の大学なので、4、5年は遅れてたかな)、我々も色んなものに興味を覚え、様々なアーティストの曲のコピーやオリジナル曲なぞ書き始めていた。大人になりオリジナルバンド(ないあがらせっと)を組んだり、商業作家になったりと、様々な音楽と触れ合う機会が増えたが、やはりベースはストーンズの癖が消えない。
これは入れ墨のようで、恐らくは、死ぬまで消えないであろう。
ストーンズもチャーリーワッツが亡くなり、オリジナルアルバムはもうないのかな、と感じ始めた矢先に、完全オリジナルアルバム「ハックニー・ダイアモンズ」のリリースが決定。先行でYouTubeなどで新曲を聴くも、新しいタイプだけど、ストーンズらしさ、ああ、生きた音楽をまだまだ世にぶつけているなあ、と感動した。この調子だと、次誰が亡くなろうと、まだまだ、ロックを続けるのだろう、とそう感じさせた逸品である。
これまた名盤~~
1998年、2006年(?)、2014年のコンサートは、会社休んでまで行かなかったが、今では大後悔をしている。(というかヴゥドゥーのコンサートの余韻が、血液から抜けてなかったのであろうと思う) ハックニー・ダイアモンズのツアー、日本公演があることを願っている。その機会があれば、親が死んでも、観に行くだろう、聴きにいくだろう。
I、 いや We Love the Rolling Stones
共に、転がり続けたい。
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